5月23日までのCOVID-19推移グラフと、気になる出来事。

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確認数は、「一日あたり50人未満」と言ったほうが、適当になってきた。でもこれは、「SARS-CoV-2の感染が治まった」というよりは、「会社勤めが始まったので、診察どころではなくなった」と考えたほうが、無難の気がする。

気になるのは死亡者数の伸びで、それまで「一日あたり、およそ20人」と言って差し支えなかったものが、10人程になった。確認数の伸びの変化と足並みが揃っていることに、やや違和感を感じている。まるで「”5月18日以降は、減少方向を示している”のプランで行きましょう」と、示し合わせをしていたかのように見えてしまう。


死亡数の扱いについては、過去に何度か定義の変更(「この方はCOVID-19で亡くなった」と判断するルールの変更)があったと思う。
次のグラフは、WHOで集計されている死亡者数。4月の末頃と5月の頭頃に、大きな変化がみられる。休日を挟んだ為に報告が滞っていたのでなければ、定義の変更があったと考えたほうが、良さそうな気がする。
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なにかこう、「数字なんでいくらでも調整できるんだよ」という世界で、私たちは喧々諤々させられている気がする。



小耳にはさんだニュースだけれど、入学式が、9月になるという。そういう方向で進んでいるという。

本当に、それで良いのだろうか。「自民党が掲げているから」とか、「安倍晋三が言っているから」とか、そういう理由で賛同を手を挙げてはいないだろうか。
例えば仮に、この案を民主が掲げていたら、賛同しただろうか。枝野幸男が「9月入学にしましょう」と言っても、賛成しただろうか。蓮舫が「9月じゃだめなんですか」と言ったとき、「そうだそうだ。9月にすべきだ」と声を上げて讃えただろうか。

もし、9月入学が本当に素晴らしいアイデアなら、どの政党の誰が掲げようが関係なく、賛成の手が挙がるはず。ならば、9月入学の案は、政党が変わった時に決を採っても良いのではないかと思う。

冬が終わり、春の訪れとともに草花が芽吹き、桜が咲く。よし、これからだ。という気持ちの中で、新学期を迎える。元気よく玄関を駆け出した子供たちに合わせて、萌えたつ青葉の五月を迎える。こうした四季折々の変化の中に暮らしていることに趣を感じなければ、日本人というよりは、ただの「日本という国に住んでいる人」になってしまう気がする。

残暑厳しい9月の入学をやってみて、多くの国民が心のどこかで「これは取り返しのつかない失敗だったんだゃないの?」と感じるのではないかと思う。しかし、多くの人の胸のうちには関係なく、報道で挙げられる「世論」は賛成が6割で、メディアでは、9月入学がさも当然のようなことを掲げると思う。

困っているのは今年の入学生なので、彼らにだけ何かをお願いすれば良いのではないだろうか。今の行政の考えは、指先に絆創膏を貼るだけの怪我にも関わらず、腕ごと切り落として交換する手術を敢行しているように見える。外科手術が病みつきになってしまった黒い医者のように見える。

どうして、多くの国民がCOVID-19で右往左往しているこの時期に、長く続いていた日本の文化を崩すような取り決めをするのだろう。このブログの記事のようにCOVID-19の話題に紛れてしまい、そんな出来事があったと気付かず、見落としてしまっている人もいるのではなだろうか。


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